代官山Hum 3.30

 

もう何年もおなじ人に髪を切ってもらってる。

ある信頼する人の紹介で行くようになって。
 
 
 
もともと髪型の注文をつけるのはそれほど得意ではないし
こだわりと言えるほどのものも持ち合わせてないのでブラジルに
居た頃は自分で切っていた。
 
 
なので紹介してもらって代官山まで切りに行った最初の日から
基本的におまかせで。実は今でもおまかせ。
放っておくと半年以上もほったらかしにする傾向があるので
ときどきフラっと現れてはほぼ無言のまま切ってもらって帰ってくる。
お互いほとんど会話もないままに何年も通ってた。
まあ僕のことなので年に2回しか切らなかったりということも(ー_ー;
 
 
「黒須さん」というのがその人の名前だ。
 
 
不思議とこの人に切ってもらうと、整えてもらうと
自分でいられる。それがたとえ年に2回でも。
人に完全に委ねるということは普段あまりない僕にしては珍しく
黒須さんという人にはまったくすべて委ねてしまってる。
それが一番良いのだという気がする。なんとなく。
 
 
 
そんなわけなので特に深く考えないまま何年も通い続けてきたのだけど
あるとき彼が絵を描くことを知った。壁にかかっていたからだ。
描く時期によってそれぞれにシリーズ的に特徴的な違いがはっきりとあって
その時々で常に「今はこれ」というテーマがあるのかなという印象だった。
その曲線は豊かで、丸みと奥行きと多面性が彼のヘアカットを想像させる。
ポップに見えるかと思えばそこには圧倒的な緻密さが隠れていたり
 
 
 
 
絵を描く人だからと知ったから、というわけではないと思うのだけど ある日
自分の音源などを手渡してみた。その場でプレイヤーにかけられたら恥ずかしい
ので、髪を切ってもらって帰り際に渡してそのまま出て来たのだ。
 
 
 
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黒須さんが音楽という入れ物を大事にしてるように僕も絵画というものに
特殊な思い入れがあって、絵に含まれる滋養のようなものに助けられたと感じる
ことが今までの生活の中にあった。
 
ひと頃とても落ち込んでいた時期があって、それはそこそこ長い期間ではあった
のだけど、その長い鬱々とした混迷のときに何度もひっぱり上げてもらった。
それは音楽では成されなかった。それは音楽セラピーがミュージシャンには
効かないのと同じ理由???
 
 
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それで話は戻るのだけど、自分の音楽を聴いてもらうようになって更に
2年か3年が経過して。その間に僕は大樹さんとkhatの音源を作ったりして。
khatはkhatでそれなりに初めての拙さが感じられる音源なので
やっぱり気恥ずかしいものなのだけど、黒須さんはそれを聴きながら
毎朝早起きして何枚もの絵を描いていてくれたみたい。
 
 
そんな時期を通過していくつかの絵が仕上がった頃に彼の個展が開かれて
僕はそのオープニングパーティーでソロ演奏をさせてもらえることに。
それがこのあいだの3月30日。
 
 
ほんとはこの日に感じたことや関わった人々に抱いた印象なんかを
書こうと思って書き始めたのになんだかもうそれは必要ない気がしてきた。笑
この日は本当にただただ良い時間でした。
 
 
 
 
この企画に僕と僕のギターを呼んでくれた黒須さん、ありがとうございました。
あれだけの作品をいくつも描きあげてくるのは日々の集中力が成せる技。
もちろんそれだけでなく。美意識とイマジネーション。
僕に欠けてるものを圧倒的に見せつけられた。すごいと思った。
それからあの日、裏方にまわって奔走していたHumのみなさん本当にお疲れさまでした☆
 
 
心より感謝を◎
 

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コメント: 1
  • #1

    seks telefon (土曜日, 04 11月 2017 01:58)

    manipulacyjny