Bernie Grundman's studio ①

バーニー氏と。
バーニー氏と。
スタジオの前からの風景。
スタジオの前からの風景。

ロスに着いて3日目、今回の音源の作り手であるマイケルとミキシングエンジニアであり同時にプロデューサーの役割も担っていたキタノ氏と共に僕はモスグリーン1色に塗り込められたバーニーグランドマンのスタジオのドアを叩いた。現地時間で朝10時のことだ。マイケルは前もってこの日をマスタリングの日と決めてスタジオを抑えていた。僕はそれに合わせて現地に向かったわけだ。3人で泊まれるハリウッドの安宿を予約して、マイケルはトロント(カナダ)から、僕とキタノ氏は東京からそれぞれ現地で待ち合わせという段取りで。 


僕にとっては実に18年ぶりにこの土地を訪れることになった。19の頃に1年間だけこのエリアに移り住んだ。大学に行く前の年だ。日本でいうと一浪したようなものだろか。当時、ユタから到着した僕は何とも湿気の多いエリアだと嫌悪感を抱いたものだけど、高湿度の東京から来ると信じられないくらい乾燥していた。ただし、気温は日本よりも高くて9月も半ばだというのにその日は100°Fを超えていた。 


さて、バーニーのスタジオについて。 
僕が住んでいた当時からこのスタジオはあったはずだけど、あの頃ペンタトニックスケールも知らない僕がこんな地味なスタジオを知る由もなくいつも近くを歩いていたにも関わらずその存在にもその価値にも無頓着だった。しかもこのスタジオは一見して全くスタジオには見えない。ただのモスグリーン1色で塗りつぶされただけの平屋の建造物だ。誰が何の目的でここを出入りしてるのかなんて建物を観ただけでは皆目見当がつかない。 


中は広々とした造りのとても落ち着くスペースだった。このスタジオの名前になってるバーニーさんという人。まずこの人がマスタリングの権威みたいな存在なのだけど、実を言うと僕はここへ来るまでそんな事実を全く知らなかった。だいたい僕みたいな一介のマイナーなギタリストに縁のある場所ではなかったのだから。そういった事実から考えても純粋にマスタリングというプロセスに立合う為だけに来ていたのだと理解して頂けることと思う。でももちろんそれが目的なのだけど、本当の目的はそれではなかった。変な言い方になるかもしれないけれど、本当の目的は僕自身がそこに出向くことだった。僕が行っても行かなくてもマスタリングは無事終了したはずである。白状すると腰の上がらない自分自身をそこまで運ぶことに価値を置いていたと言えるかもしれない。 


話を戻そう、バーニー氏だ。ここに着いてみて、そこの壁に並ぶ夥しいディスクの数々と写真を見て初めてここの人達がどんな職人集団なのかを少し知った。マイケルジャクソン、プリンス、キャロルキング、ジョニミッチェル、ライクーダー、アラニスモリセット、フーファイターズ、カエターノヴェローゾ、リンゴスター・・・ええと、そんな感じで数百枚ものディスクやら写真やらが飾られていて挙げていくとキリがない。そっかー、これだけいろんなジャンルの人達がここでマスタリングしてきたんだ、と思いながら今回お世話になるクリスベルマン氏を待つ。受付で僕らを担当してくれたアンディくんが美味しいカプチーノを淹れてくれる。結構練習したみたいだ。とっても見栄えが良くほろ苦く美味しかった。 


バーニーもクリスもそれぞれ自分専用のマスタリングの為のコンソールルームみたいな部屋を持っていて、クリス氏の部屋の前にはアラニスモリセットと写る彼の写真が飾られていて、その下には賞状のような紙が。読んでみるとそこにはグラミー受賞とあって、それを見るまでマスタリングでグラミーを穫るなんてことがあるというシンプルな事実さえ知らなかった。しばし感心。 



ほどなくクリスベルマンが現れて我々を中へ招き入れてくれた。赤1色の壁。シンプルに見えるコンソール。不思議と落ち着くスペースだ。このバーニーのスタジオの機材は全て自社製というのがキーワードのようだった。東京にも彼らのスタジオはあるのだけど、ここハリウッドの機材と全く同じモノを使用しており、それどころか建物内部の造りまで全く同じということだった。この辺りはアメリカ人ぽい考え方だなあと思ったけれども。でもこれらの機材のデザインのされ方、取り揃え方、設定のされかたが既にこのスタジオ全体の社風であり社説なんだと思えた。つまりスタジオのカラーは既に一定に保たれている。もちろんエンジニアの個人差はそこに必ず立ち現れるはずなのだけど。 



彼らはバイナル(ビニール盤のレコード)も手がけるとにかくアナログ志向の趣を愛する人々のようで、後にその制作部屋も見学させていただいたけどそれはまた追って書くとして、ともかくそんな趣向と精神が建物全体のデザインと見事にマッチしていて実に心落ち着く環境設定になっている。こんな仕事場に毎日通う自分を想像して彼らを羨ましいと思った。 



作業の内容についても追ってまとめて書くとして、お昼に近くのレストランにクリスも交えてランチに行った。まあランチ休憩だ。真っ昼間のレストランだからか広い店内は薄暗く、人もほとんどいないくらいガラガラにすいていたけれど注文した食事は文句無く美味しかった。クリスおススメのツナサラダをマイケルは食べていたけれど見るからに美味しそうだった。瑞々しい緑の野菜が広く浅い大皿に敷き詰められて、その上にグリルした大きなマグロが焦げ目も鮮やかにどかんと置かれてる。それをほぐしつつドレッシングをかけて食べるわけだ。普段あまり魚を食べないマイケルがクリス氏のおススメということもあって半分無理して食べてる感じが面白かった。 



ランチを食べながら雑談をした。キタノ氏が「いつからこの仕事をしてるんですか?」と質問をする。彼は「1974年」と答えた。僕の生まれた年だ。その年月のあいだに彼の関わったであろう様々な録音物を想像しつついろいろと彼について聞いてみた。そういえば、とマイケルがスタジオに貼ってあったリンゴスターのポスターについて言った、「リンゴのもあなたが?」。 


クリスはリンゴと関わった時の話をしてくれた。クリス本人もビートルズのメンバーと仕事で関われるなんてと半ば緊張していたというけれど、なんとリンゴに至ってはそれが初めてのマスタリングとのことで、そもそもあまりこの行程そのものを理解していなかったとのこと。ずっと退屈そうで「まだ終わらないの?また聴き直すの?これでいいんじゃない?」と言い続けるので彼がスタジオを去ってから慌ててリンゴのマネージャーと細かい調整をやって仕上げた話とか。でもリンゴは次のも既に制作していてそこにはランドウやルカサーが参加するかもということでギタリストとしてはちょっと気になってみたり。なんだか自分ごとで恐縮だけど、歳を重ねるほど職人の仕事というものに魅了されていく僕自身を発見する。彼らの持つ確かな技術、その個性的な仕事の歴史、揺るぎない誇り。エンジニアだろうとギタリストだろうと自分の役割をしっかりと意識してひとつのプロジェクトに関われること。それを何年も何年も続けて生活してるという事実。 


おっとクリスの話を聞いていたところだった。彼はこのスタジオの中、ちょうどコーナーになってるところでジョージハリソンと思い切りぶつかったというエピソードも披露してくれた。いろんな大物と日々関わり続けてるクリスにとってビートルズのメンバーとのエピソードの数々は特に大事にしてる思い出のようだ。 そういう雰囲気が伝わってくる。


それから話はLAに住むということに関心を持ったマイケルの雑談から海の話になり、海岸の話からジムモリソンが住んでいたというビーチの家の値段の話になり、そのまま海つながりで地震と津波の話をした。そんなふうにしてランチを過ごした我々は良く晴れた眩しい道をぶらぶらと歩いてスタジオに戻り作業の後半に突入することになった。10曲入りのアルバムを制作していて午前中までに既に半分の5曲を我々は終えていた。続きはまた次回に。 


我らがクリス氏と。
我らがクリス氏と。