Rambler


チャーリーチャップリンのドキュメンタリーフィルムを観た。 


チャップリンの事は勿論知っていたけど、彼のバックグラウンドや彼が 
送った人生のことは何にも知らなかったからね。 
ひとりでビールを呑みながらしばらく興味深く観ていたのだけど 
観てるうちに自分の頭の中で過去の記憶がフラッシュバックして何だか 
17、8の頃の思い出が蘇った。 


みんなそうなのかもしれないけど、僕の記憶もところどころ飛んで 
しまっていて今では思い出せないことがたくさんある。 
小学生の頃のちょっとした事実を克明に覚えているかと思えば高校生の 
頃の様々な出来事を全く思い出せなかったり、22歳前後の頃の自分の事を 
あまり明瞭に思い出せなかったり。逆に幼稚園の頃のいくつかの出来事を 
かなり鮮明に記憶していたり。記憶ってのはどうやって選別されて 
脳のフィルムにインプットされているんだろう?(きっと勝手に歪曲も 
されているはずだ) 



自分がいろいろと記憶してないことに明確に思い当たったのは 
数年前にふとしたことで昔の深い繋がりだった知り合いと再び親交を 
一時的に持つようになったときだ。僕は実に様々な事柄を記憶していなか 
ったし、先方も僕が記憶していた事柄と全く違った種類の事柄を沢山 
記憶の抽出しの中にしまい込んでいた。あまりにもお互いの話が上手く 
結びつかなくて互いに驚いたものだ。 


それで初めて知ったのだけど、互いの主観は当時、同じ風景を眺めて 
いながらもあまりにも異なる部分に焦点を当てていたのかもしれない。 
それを「すれ違い」だとは思わない。思うに恐らく我々は後天的に 
ある記憶を消し去り、ある記憶を目立つ場所に飾ってきたわけだ。 
それは不思議な喪失感の断片を含んだ10数年ぶりの邂逅だったな。 



そうそう。話を戻そう。 
チャップリンのドキュメンタリーを観てて思い出したのは、その知人 
との話よりもずっと遡る。最初に書いたように僕自身が歳の頃17, 8の 
夏だ。たぶん夏だったと思うんだけど。 


僕はオレゴンの高校にいて、そこはかなり厳格なキリスト教の学校 
だった。まだ英語もあまり話せなくて頭の巡りも悪い子供だったので 
何を考えてたのか正直今となっては自分でももうよくわからない。 
英語なんて今でもロクに話せないし、頭だってその頃より良くなった 
とも思えないけれどそれはまあここではよしとしよう。 



その高校ではフィールドトリップなるものがあったんだ。 
それはグループに分かれてそれぞれにテーマがあって行く場所も 
とる行動も違うものなんだね。アーミッシュに行く奴らもいれば 
チャリでMt. Hoodまで行くグループもあった。 
メノナイトの学校だから他とちょっと違ってたのかな? 
それともよくある内容なのかしら。ともかくそういった行事が 
あった。僕はコスタリカという国の孤児院に土方をしに行った。 


英語もロクに話せないというのにスペイン語圏の国に行って孤児の 
子供達と過ごしながら土方をするというのはある意味無謀なこと 
だったんだろう。でも若いから何にも考えずに行ったんだね。 
アコギを持って行ったことから考えてもそれがわかる。完全に目的を 
勘違いしてる。 


Orphanageに無料で泊まらせてもらってそこの子供達と少しだけ 
一緒に過ごした。みんな明るい子供達だったけど、スペイン語で 
簡単な会話しかしてないから深い交流もなかったし、それっきりだ。 
小額なコインの取り替えっこなんかしたりして。話題になるなら

何でも良かったんだね。 



でもはっきり言って、そんなことほとんど忘れてた。 
僕の記憶の容量は5年前のPCみたいに重く動作も鈍くて 
今となっては開かないファイルも多々あるようだ。 



コスタリカについて漠然と断片的に思い出すのは毎日のように自分達で 
作って食べてたフランスパンにチーズとアボカドの長いサンドイッチや、 
公共のバスが全てメルセデスだったことや、不思議な男に英語で 
話しかけられて当惑したことや、海で溺れた事なんかで大した思い出 
じゃない。 


ただ、ついさっきチャップリンのドキュメンタリーフィルムを観ていた 
というだけで孤児院での事や海岸でのことなんかが急に洪水のように 
頭の中に溢れて来て戸惑いを感じた。 



特に何があったわけじゃないのだけど。ただ孤児院にちょっとだけ世話に 
なって、こちらもそこの土地を掘ったり土を運んだりして真っ黒に日焼け 
して汗だくになりながら過ごしただけの思い出だ。 


そのときだって「ああ、この子達は身寄りのない子達なんだ」と 
漠然と考えていたに違いないんだけれど、借りて来たフィルムを 
観てるうちにそれらの事実が突然記憶の映像と共に蘇って、それが 
静かに自分の意識に再び浸透していくというタイプの感覚を覚えた。 


それがチャーリーの求めたであろう「笑い」の感覚と見事に融合して 
感じられたのかも。それはどこか切なさを内包してて、どこか無力感を 
感じずにはいられないような感覚で。 

いや、彼が求めたのは切なさや無力感ではなかったはずなんだけど 
こちらで客観的に観てるうちにそういった感情が喚起されてきてしまう 
というふうになったんだね。それは単純に彼も孤児院に入れられたという 
経験があるというエピソードが含まれていたからなのかもしれないし、 
大した意味を持つ事でもないのかもしれない。ただ、たまたま僕の中の 
記憶の古いファイルと共鳴し合うものがあって、今ではすっかり忘れて 
いた思い出が連想的にずるずると引っ張り出されてきた感覚に 
戸惑ってしまったんだと思う。 



あの子達はもう大人なんだろうなあ、とか思いつつ。 
彼らは大人になって笑いを求めただろか。 


++++++++++++++ ------------------------



コスタリカの海では水着を持たなかった為、ジーンズのまま海に入って 
みるみるうちにパンツが重くなりどんどん身体が沈んでいき、危うく 
本格的に溺れるところだった。他人に見られたら恥ずかしいという意地 
だけでなんとか浜辺まで辿り着いた。あれはどっと疲れたな。 



仲の良かった友人とこっそり抜け出してひと気の無い海岸で煙をくゆらしてて 
ボンヤリと夕焼けの海岸を二人で眺めているところに視線を感じて「はっ」 
と振り向いたらそこに僕の半分くらいのサイズの大トカゲがいて 
至近距離で目が合ってしまって、向こうもなんだか「はっ」としたみたいで 
互いに気まずそうにしばらく固まっていた。もし僕が振り向かなかったら 
どうなっていたんだろう? 大トカゲは人を食べたりはしないよね? 





あの旅では最後に変なことでモメたことまで今思い出した。 
孤児院の近所に、子供が沢山いるのに旦那さんがいない奥さんがいて、 
生活に大変困っているらしいという話になって。誰が言い出したんだろう? 
それでアメリカ人と日本人(僕)の高校生が顔を寄せ集めて話し合った。 

 

 

それで誰かが「あの奥さんにお金を寄付しよう」と言い出した。 
他のみんなも「賛成!」となった。 
僕はイマイチ話しの流れがのみ込めなくて賛成してはいなかったのだけど 
とにかく僕なんかの思惑とは裏腹にみんなで少しずつお金を出し合って 
その奥さんにお金をあげることになった。なんだか寄付するというと聞こえは 
いいけど、お金をあげるとか恵むとか言うと途端に違った響きを持つように 
感じるから言葉って厄介だ。 


僕は子供だったからみんながお金を寄付することに決めても「でも 
それって一時的なものだし」とか「お金に困ってるのはその人だけじゃ 
ないんじゃないか」とか、「そういう我々だって孤児院で土方作業して 
その見返りにタダで泊まらせてもらってる身じゃないか」とか、いろいろ 
頭の中で幼稚な異論があって実際に口にもしたような気がするんだけど 
普段からロクに喋らないような日本人の意見が尊重されるわけもなく 
とにかく寄付することが決定して僕も少し加担した。 


今思えばあの奥さんは春を売るのを仕事にしてる人だったのかな。 
そのとき彼女は既に妊娠していてお腹も大きかったみたい。 
それじゃ仕事ができないとか、そういう理由もあったんだろか。 

よく考えたら孤児院と子供をたくさん授かってしまう貧しいお母さんという

のは何かしらの因果関係があったりするのかな。
その頃の僕に状況を推し量る頭がなくて事実は全くわからない。 



でも「変な出来事」とわざわざ書いたのには理由がある。 
誰がその集めた寄付金を持ってその奥さんに渡しに行くのかで 
高校生達はモメたんだ。「俺が行く」「いや、私が行きたい」って。 

それがあまりにも不快に感じて僕は1人で拗ねてたことを思い出した。 
みんな真剣にモメるんだもの。誰が渡したっていいじゃないか。 
いったいどんな顔して渡すというのだ。


うーん、いろいろと関係ないことまで芋づる式に思い出したな。 
そんなに昔の話じゃないという気もするけど、あの旅にアコギを 
持っていったことを考えるともう20年以上ギター触ってるんだなと 
びっくりする。20年弾いてもこんな感じというか・・・。 



ちなみにコスタリカの帰りの飛行機で、ダラスの空港でドメスティック便 
に乗り換えることになってたのだけど、僕一人だけそのギターケースが 
疑われて、ドラッグの運び屋と勘違いされて長い事足止めを喰らって 
危うく飛行機に乗り遅れるところだった。一緒に旅してた連中はさっさと 
別のターミナルに行っちまうし(彼らはアメリカ人だから入国が楽だ)、 
僕は僕でコスタリカの強い日差しの中で土方をしていたせいで真っ黒に 
日焼けして痩せて黒髪で、まるでメキシコ人かコスタリカの移民みたい 
に見えたらしい。どうみたって顔つきが違うじゃないかと思うのだが。 


ダラスの税関の人、ヤな奴だったな。 

 

----------------------- +++++++++++++++

 


さて。とりとめもなく徒然なるままに書いたけれど、不自分(fjbn)の 
ライブが2/4にあります。自由ヶ丘ハイフンというハコで。 
詳しくは不自分のサイトで確認できます◎ 



それからつい先日Twitterでも呟いたけれど、僕の2nd album 
「Vanishing Time」がCD baby, Amazon, iTunes等でのダウンロード 
販売を開始しました。1st albumも引き続きお買い求めできます。 
海外でも大丈夫。でもポーランドでは買えないと言ってたな。(何故?) 

Amazon, iTunesでは¥1,500。ライブ会場では¥1,000で販売しています。 
ここだけの話ですが、アメリカのAmazonのサイトで検索してもらえると 
$8.99でダウンロードできます。これが一番安いかな。 



チャップリンの話で始まり、何故だか自分のアルバムの話で終わるこの 
支離滅裂さ加減がきっと過去の記憶を無くしていってる理由なんじゃ 
ないかと疑ってみたり。。。うーむ。