あまりふだんは書かない日記を今月はせっせと書いています。
昨日は池ノ上ルイナ(旧ボブテイル)にて即興ペインティングをやってきた。
とはいえ絵を描くのは僕ではなく、僕が「画伯」と呼んでいる男です。
画伯は自身を「ヒノキヲ」と名乗り、彼の作るものは非常に繊細かつ大胆かつ
どこかレトロでユーモアに溢れ、どこか決定的にグロい。
いや、これはあまり意味のない描写だな。なぜなら観る人によってはその「グロい」
部分こそを「美しい」と感じるかもしれないから。例えば僕がそうだ。
画伯は繊細で緻密な絵を描くのだけれど、それは例えばボンバードラミの
アルバムジャケットを観れば一目瞭然かもしれない。
精緻というと語弊があるかもしれないが、ミニマルと全体性を同時に内包した
実に彼らしい世界観を提示してる。
でも僕自身はこうして映像にするにあたっていつもハッピーミディアムに
してしまう。本質的なグロさを全面に押したりはしない。何故かな。
よくわからないけどこうして映像に変換する時点で既に伝言ゲームみたいなもの
だからだろう。より大勢の他人の目耳に触れるためにブラッシュアップして
しまう傾向が確かにある。それでいいと思ってる。
ヒノキヲ画伯に話を戻そう。
彼は実に細かく繊細に筆を進めるように見えて、ライブでは時に大胆だ。
僕はまだ2回しか彼とライブしたことがないのだけど。
今回はBar Ruinaでのタイバンライブという時間的制約があったので
実質約45分間、お互いに即興で・・・というかつまり何も決めずに始めた。
ちなみにこれは上記したボンバードラミのライブです。
画伯とボンバードラミは深く結託していて古くからこうした活動を共にしてる
ある種のチームな関係だ。僕は最近ただいろんな人のところに行っては
いつもと同じようなことをしてるだけの隙間産業的ギタリスト。誰かとチームを
組むというほど深くコミットするにはそれ相応の時間をかけないといけない。
この日も画伯はいつもの白い衣装をまとい裸足で、それからふさふさとした
白い大きなしっぽをつけて登場した。ステージでキツネの面をかぶり彼は
壁を抜け「向こう側」の世界に入る。この一連の儀式は能の「それ」と似てる。
彼は今回は墨を使った。映像を観てもらえればわかると思うけど
長い筆を持ち、舞を踊りながら我々の出す音に反応して描き進めて行く。
出来上がった作品を観てしまうとそれはそれで「作品として」感動するのだけど
興味深いのはそのプロセスかもしれない。
完成された作品を観る限りでは彼が何をイメージして何から描き始めていくのか
以外とわかりづらいものだからだ。彼に言わせれば「彼自身にもわかってない」
ということになる。つまり音を聴きながらその場で浮かんだものを捉えているに
過ぎないので完成図を想像して描いてるわけではないのだ。
なのでこれはそのプロセスを撮影したドキュメンタリーということになる。
約45分間の演奏をどれだけ頑張って縮めてもこの長さになってしまった。
You Tubeで15分近い映像なんて恐らく誰も観ないだろう。もちろんそれは
内容にもよるのだろうけど。また、短く3分割ということもできたのだけど
今回はあえて1本で行かせてもらった。
最初と最後が繋がってることが僕としては大事だったから。
残念なことに撮影してるのは僕の小さなデジカメなので演奏中はもちろん
手元で固定したまま撮りっぱなしということになる。本当は正面から映したほうが
スピーカーの事を考えても良音質で撮れるし全体が見えやすいのだろうけど
僕自身があまり正面のカットを好まないので仕方ない。それに撮影してる行為が
あまりおおっぴらでないほうが良いのだ。エフェクターを手や足で弄りながら
ついでにカメラも弄るという程度で。それに僕は撮る時に一切ファインダーを
覗かないから後から映像を観るまでどんなふうに切り取られているのか自分でも
知らない。「知らない」方が良いときもある、とたまに思う。
絵が完成してしばし舞を踊る画伯。
彼の持つ独特な象徴性を僕はとても評価してるし好意さえ感じている。
時期が時期ということもありボンバードラミの歌う即興だったり既存の曲だったり
する中にはクリスマス的な歌も含まれた。クリスマス前のこんな夜があっても
いいだろう。
*このライブの映像は映像2にあります ↓
http://www.youtube.com/watch?v=6efzJMNssek
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